10月13日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第235弾!  2011.10.13(木)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第235弾!  2011.10.13(木)   たかやん

保谷
何年ぶりの保谷だろう。バイクをどこに停めるか・・・駅のどこに立つか・・・そんな基本的なことから始めた駅立ちだった。開始時間は5時45分。ひばりヶ丘よりは、東久留米に似た感じの保谷駅。不思議と女性達がたくさん「一生懸命」を持っていってくれたのだった。

ハグ
一番嬉しかったのが、るーちゃんに会えたこと。ひとみの同級生でテニス部だったルーちゃんは僕に気がつくと両手を広げてハグしてくれたのだ。「どうしたの?スーツなんか着ちゃって!」とルーちゃん。そう、昔駅立ちをしていた時は、ジャージだったのだ。僕がスーツを着て駅立ちをするようになったのは最近のこと。それまではずっとジャージか半袖短パン。保谷を利用している人達には新鮮に写ったのだろう。五中の陸上部だった薫も「たかやん!スーツ着て、ちゃんと仕事してんじゃん!」と言っていたっけ・・・。

150部
ひばりヶ丘の4分の1、東久留米の2分の1も配れなかった。100部を切ることも覚悟していたのだが・・・何とか150部は配ることができた。まあ、大半は都民が持って行ったのだと思うから・・・実質は75かな。それでも妙に楽しかった空父であった。

桜子
練馬区議会議員のかとうぎ桜子さんと会った。前にブログを見てメールをしたことを彼女も覚えていてくれて、二人で楽しみながら駅立ちをした。それにしても礼儀正しい女性だ。議員の雰囲気がまるでないのがいい。石神井高校の友人達よ。練馬区には素敵な女性区議がいるぞ。是非、応援してやってくれ!

運営委員会
9時半からはPTAの運営委員会。執行部は30分前には集合なのだ。着替える時間がなく、スーツのまま八石小へ行った。議題が色々あったのだが、11時くらいには全て終了し・・・最後の「その他」になって、一人のお母さんが手を挙げた。それは食の安全、給食の安全についてのことだった。勿論、内部被爆に関することである。運営委員会で全員が放射線量計の購入について、給食について意見を言った。予定になかった議論はお母さん達の本音を引き出し・・・委員会が終わったのは1時半を過ぎていたと思う。10時からの会議が3時間半・・・みんなお腹が空くのを忘れるくらいの会議になった。やはり、子ども達の命と健康を守りたいというお母さん達の思いは強いのだ。ちょっと安心した空父であった。


4時半からは塾。僕の至福の時間。計算のトレーニングの後は漢字のトレーニング。2年生も6年分の漢字は殆ど読めるようになったので、今度は実際に使う練習である。いつも感想で使うような漢字を書けるようにするのだ。
1、今日 2、音読 3、計算 4、家 5、宿題 6、挨拶 7、勉強 8、書く9、風呂 10、学校 11、暗誦(暗唱)12、楽しい 13、授業 14、英語
15、漢字16、寝る 17、練習 18、全然 19、読む 20、起きる 21、一生懸命
22、頑張る 23、難しい 24、出来る 25、覚える 26、足し算 27、引き算 28、掛け算 29、割り算 30、基礎 31、遅い 32、曜日 33、月・火・水・木・金・土・日
34、残念 35、失敗 36、所 37、点数 38、綺麗 39、本当 40、嬉しい
41、最初 42、終わる 43、繰り返す 44、問題  45、全部
5,6年生は5分の練習で満点をとる。2年生もあっという間に書けるようになるだろう。漢字は使えば忘れない。当たり前の法則である。
英語も同じ。基礎英語のテキストを暗唱し、書けるようにする。その積み重ねが力をつけるのある。

『一生懸命』幻の学級通信 第六中学校 3年1組  1996年  から

一生懸命  3年1組の子ども達へ
拝復
遅くなってすみません。すっごく楽しみと言われると、すっごくプレッシャーがかかって、締め切りを過ぎてもなかなか原稿をあげない作家の気持がよくわかりました。しかし、朋矢君には、昔、尾崎豊を弾き語りで聞かせてもらった義理もあります。トップバッターを降りるわけにもいきません。で、題は「一生懸命」
 中学三年の六月頃のことだったと思う。学校の掲示板に貼ってあった、船員養成学校の入学案内を見て、船乗りになろうと、突然思い立ち、その夜、勇躍、親に相談した。当時、船乗りは花形の職業であったから、親は大賛成だろうと、思いきや、何と猛反対にあってしまった。どういう理由で親が反対したのか、記憶してないのはその時、かなり頭に血がのぼっていたからだろう。後にも先にも自分の人生で親の反対というのはその一回だった訳だが・・その時はそれはわからないから、何と理解のない親だろうと、当時の中学生風のグレ方をしたものだった。
高校の普通科に進んだ三年生の冬、中学の同窓会があって、その養成学校に入った旧友の話が大いに座を盛りあげた。研修で東南アジアを回ったという体験談は非常に興味深く、海外への夢をかきたてられたものだった。しかし、海で鍛えられて逞しくなっている彼を見て、自分もなりたかったと思わなかったのは何故だろう。船乗りになりたいという、あの時の思いは一体なんだったのだろう。君は体力的に向いてないと親は反対したのだろうか。一時の熱病だと考えたのだろうか。
子どもの特性というものは、身近な親が一番わかっているのだろうが、向き不向きも判定されるというのは、思春期には結構こたえるものだ。ストレートに言われても、婉曲に言われても、向いてないと通告されると、悔しくて、悲しくて・・・誰も自分のことはわかってくれないと思う。他人の意見なんて聞きたくないと思う。
しかし、一番聞かなきゃいけない時もある・・・。人生、たら、れば はつきものだが、それでも船乗りになっていたら、どうだっただろうか。劣る体力ながら、きっと一生懸命やっていることは間違いない。それは、だって、今の仕事も向いてない部分もあるけれど、それでもかなり、一生懸命やってるもの。
この「一生懸命」というスタンダードな言葉は、いかにも陳腐で、体育会的と思うかも知れないが、その時々の自分を勇気づけてくれる、思いやりのある味があって、悪くない言葉だ。
この先も、「一生懸命」ずっと続けてください。    東 道郎

敬具
P.S  スマッシュが うまく いかない・・・

* がっちゃんのお父さんとは本当にうまがあうというか、話が合うというか・・・しかも、テニスマンな訳で・・・父母との「縁」というのにも僕は恵まれていたと思うのだ。その財産があるから・・・今の僕がいるのである。

今日の写真1
保谷で一緒になった桜子さんです。どうです、大きな幟でしょ?それに比べて、ほら・・・桜子さんの足元にあるのが、僕の小さな幟です。若くて素敵な女性とつるつるのおじさんに加え、この幟の違い・・・勝負になりませんよねえ。

今日の写真2
学校から帰って来ると、「おかえりなさーい!」と、今まで聞いたことのないような優しい声が聞こえたので、どうしたのかな?と思ったら・・・ひとみの妹のみゆきちゃんでした。声が同じなので気がつかなかったのです。みゆきちゃんはココアがお気に入りになったらしく・・・

今日の写真3
今夜、結婚の報告に来てくれた二人です。悠も愛も六中のテニス部で・・・直接は面識がなかったのを、僕が悠に紹介したのがきっかけで・・・結婚してしまうのだから、恐ろしいったりゃ、ありゃしません。それにしても、幸せそうな二人でした。年下のAB型かあ・・・悠と二人だけで飲まなきゃな・・・ふふふふふ。

明日は新座駅での駅立ちになります。志木駅には行けません。行かないのではなく、行けないのです。そう、「一生懸命」が無くなってしまいそうなのです。ポスティングする分もありません。いつもより多く刷ったのですが・・・すみません・・・・。

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