10月3日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第275弾!  2011.10.3(月)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第275弾!  2011.10.3(月)   たかやん


集団登校しながら、『寒いよねえ・・』「うん、寒い」と寒がる僕ら。子ども達の荷物から水筒が消え・・・長袖が増えた。秋が来た!って感じである。

月曜日
下を向いて歩く子が多い。集団登校の欠点の一つである。前の子について行くだけ・・・。周りを見ないから、危険を察知することもできない。人の顔も見ないから、誰が危なくて、誰が自分を見守ってくれているかにも気がつかない。そういう子が増えている。勿論、前を見て、周りを見て、大人の顔を見て、笑顔で挨拶できる子もいる。しかし、数は少ないのである。下を向いていると、大人もその子を覚えられない・・・実に勿体無いのである。

父さんの命日
午前中、母さんに電話をするが・・・でない。夜にもう一度電話すると・・・でた。『今日、父さんの命日だよね。』「そうね」『何かしなかったの?』「しないわよ。もう直ぐ、お母さんもあっちに行くしね。」『そっかあ・・・』「仏壇を開ける元気もないのよ」『ホンマかいな。』母さんが、もう直ぐあっちの世界に行くと言っているのに、何故か笑ってしまったのだった。こっちの世界もいやなことばかり起きているからなあ・・・。「テレビつけてもお笑いばかりで、いやになっちゃうのよ」と母さん。原発で何が起きているか・・・そんなこと考えられない人間ばかりになってしまいそうで・・・怖いよなあ・・・。

小学生塾
学校を誰よりも愛していたので、まさか辞めるとは・・・夢にも思っていなかった。僕の人生はその連続かも知れないが・・・中学生が対象だったのに、いつの間にか小学生にシフトしてきたことも予想外である。しかし、これがまた面白いのである。小学校の先生達って幸せだなあって思うのである。勿論、中学生を教える方が楽だ。21年間も一緒にいたのだから・・・その後の塾だって大半は中学生。合わせると30年以上中学生と一緒に勉強してきたことになるのだから・・・。小学生達の頭は柔らかい。まさにゴールデンエイジである。チビッコ達といると、あっという間に時間が過ぎてしまうのである。

中学生塾
夜の部は中学生塾。こっちは質問の嵐がくるので、これまた面白い訳で・・・。こっちも辞められそうにない。この世にいる間はずっと塾で楽しんでいる気がする。幸せ、幸せ。

『一生懸命』幻の学級通信 第六中学校 3年1組  1996年  から

ジョーカー様
給食が始まって3日目。座席はトランプで決めるというシステムがスタートした。担任のカードはクラブの3。右隣は有香、その前が宏隆、その右隣が秀希という席だった。ジョーカーを引いたのは瞳。『ジョーカー様!おかわりをしていいですか?』「どうぞ・・・」そうジョーカー様の許可がないとお代わりはできないのだ。「いただきます」も「ご馳走様」もジョーカー様の号令で・・・明日は誰がなるのかな。

桜の木の下で・・
今日の1時間目は学活。『全員の名前を覚えるぞゲーム』をやった。勿論、罰ゲーム付。「修ちゃん結構鈍いかも知れなーい!」と意外な奴が弱かったりして・・・。みんなで燃えに燃えた。浩子、弘、哲也、正裕、芳明といったところも危なかったのだが・・・・負けたのは裕作。全員がベランダに出て見つめる中、桜の木の下で「3年1組万歳!!」と絶叫し、大拍手を浴びたのだった。ああ、楽しかった!!

* 六中にもベランダには出ない。そんな決まりはあったかも知れない・・・でも、教師も生徒も自由にベランダを歩いていた気がする。授業中に出ると、さすがに拳骨ものだったが・・・。遼平も六中だったら・・死ななくて済んだのに・・・ハイチュウは僕の胃の中にも入ったかも知れないなあ・・・当時の六中は授業時間と休み時間のメリハリがあったと思う。休み時間は漫画を読んでもトランプをしても怒ったことはない。一緒にやっていたしね。でも、授業時間に入ったら・・・切り替えをピシっとしないと怒ったなあ・・・授業中の漫画は容赦しないで破いたし、窓から外に放り投げた。「学校に必要なもの以外は持って来てはいけない」という先生も多かったけど・・・・漫画やトランプや将棋は休み時間には必要なものだったからねえ・・・。大事なのは授業と休み時間のけじめだと僕は思うのです。大人になっても遊びは大事なのだから、子どものうちから、みんなで楽しく遊ぶ方法を知っておくことも大事じゃないかねえ。そんなことを思い出させてくれた学級通信でした。

2時
いつの間にか、今夜も2時をまわってしまった。寝るのは3時頃になりそうである。5時に起床は厳しいかなあ・・・。おやすみなさいませ。


今日の写真
昨日の続きです。この前の年は全国で優勝して・・・この時はベスト4だったような気がします。優勝するチャンスはありましたが、監督の力不足でした。

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