10月7日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第279弾!  2011.10.7(木)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第279弾!  2011.10.7(木)   たかやん

3時半
結局、昨夜も布団に入ったのは3時半過ぎ。流石にちょっと眠い・・・寝不足は体に良くないとわかってはいるのだが・・・やることがたくさんあるのよねえ・・・。

学校
どんなに眠くても、集団登校には付き合う。東門には立つ。駅立ち以外の日はそう決めている。朝の1時間は貴重だが・・・子ども達の安全とは引き換えにできない。

カッパおじさん
「ねえ、カッパおじさん!」と、1年生の女の子達に声をかけらた。『え?誰のこと?』「カッパおじさんだよー!」『何でカッパおじさんなの?』と6年生のKちゃんにそっと聞くと・・・「ほら、この間の雨の日、カッパ着てたでしょ?あの日から・・・」『ああ、オレンジ色のカッパね・・』「そう」「カッパおじさん、自転車で学校行っちゃいけないんだよ!」『なんで?俺は小学生じゃないんだぜ・・・』「だめなんだよー!歩いていかなきゃ・・・」
すっかり、カッパおじさんになってしまった空父であった。

学力を上げるには・・・
どうも、朝の子ども達の元気がない。大きな声で「おはよう」「おはようございまーす!」と言える子が少ないのである。21年間の経験では・・大きな声で音読ができるクラスは学力が高い。朝ごはんをしっかり食べてくる子、特に和食の子は学力が高いのだ。要するに、学力を上げるには“朝ごはんをしっかり食べて、元気よく挨拶ができる子たち”を増やしていけばいい訳で・・・・そんなに難しいことじゃあないような気がする。勿論、一番大切なのは「授業」なんだろうけれど・・・

川越からのメール2
たかやん様

ブログへのUP、ありがとう。
政務調査費は、市民のお金から出ているのですから、
たかやんのように「市民の税金ですから」との
考え方で支出されることが、議員として当然の姿です。

しかし、全国でこれだけ政務調査費の返還請求訴訟が
起きているということは、市民・県民が納得のいかない
支出が多いということになります。

政務調査費は、地方自治法に
「市政に関する調査研究に資するための費用の一部として、交付することができる。」
と書いてありますので、市長は交付することが義務ではありません。
交付しなくてもいいのです。しかし、各地で不当な支出が見つかるのですから、
どこかの市長が「もう、交付しない!」と言ってもよさそうなものですが、
「やめる」とは言わない。

不当支出で市民から住民監査請求書が提出されると、請求人が請求の対象とするのは、
市長であって、訴訟になれば、市長は被告なのに・・・です。

そして、また「新座市議会はまとも″だ」と私が言う理由をあげますと・・・。
平成13年第一回定例会で、「政務調査費交付条例」が市長提案によって上程
されています。委員会に付託もされ、委員長報告によりますと、
その金額等を決めるにあたっては、議事録に以下のような発言があります。
「制定に際しては、自治省通知によりまして第三者機関の意見を
聴取することを通知されておりますので、
本市におきましては平成12年10月20日に新座市特別職報酬等審議会へ諮問し、
同年12月6日に同審議会から答申をいただいております。」
本会議では、反対討論はなかったですが、賛成討論もあり、可決です。

ところが、わが市の場合は、
政務調査費交付条例は、「議員提案」によって、定例会最終日に
いきなり上程され、提案理由の説明は議員が行い、
委員会付託省略・質疑なし・討論なし・採決・議決。

議員が政調費を交付するわけじゃなくて、市長が交付するのに、
議員が提案して、議員が議決して、市長は質疑もできず、反対討論もできず、
でも交付を決めたのですから。すごいでしょ?!

議員が条例や規程をつくり、議会が上程して、議決して、支出するのも議員という
このようなことは、法的には問題がないのかどうか?を市長へ質問書(8月26日)
を出しているのですが、今になっても回答はもらえていません。

新座市議会は「まともです」と、私が言うのは、このような差です。 千恵子
*千恵子さんは川越では超有名な主婦で、新聞にもかなり名前が掲載されている。
政務調査費の返還請求訴訟のエキスパートなのだ。その千恵子さんが言うのだから、新座はかなり「まとも」なのかも知れない。ま、川越と比べたらの話だけれど・・・

『一生懸命』幻の学級通信 第六中学校 3年1組  1996年  から

家庭訪問日記5
浩子を車に乗せ石神5丁目へ。五木ひろしの歌を聞きながら部屋に案内された。浩子の髪の毛(ロングヘアー)、スカート(ミニ)の話に始まって・・お父さんの囲碁、将棋、麻雀。僕の母親の話。次から次への話題がかわって・・・1時間半は喋ってしまった。女の子の髪の毛は長い方がいいし、スカートは短いほうがいい。都会の中学生はそうだよねえ・・。
* 因みにミニスカートをはいていた浩子も、高校大学をトップの成績で卒業し、今は立派な公務員である。

牡蠣事件
あれはもう、今から15年以上も前の話。その頃、僕は所沢に住んでいて、丁度中三の担任で・・3年1組の子を中心に、男の子達が7.8人、我が家で合宿をしていた。その子達は長い子で半年、短い子でも3ヶ月、僕の家に居候していた訳で・・・。その内の一人、雅明(現在、高校の先生)が「おじさんのところから牡蠣送ってきたから」と言って、牡蠣をどっさり持って来たのだ。牡蠣が大好物だった僕は、その夜は生牡蠣を腹いっぱい食べ(子ども達も勿論食べた)次の夜はフライにして食べまくったのだが・・・その夜の内に昭弘が発熱。『風邪か・・』次の日の朝、賢一が下痢。ん?そして午前中、次々と子ども達が腹痛を訴え・・お昼前、遂に僕もトイレへ・・それからの状態は筆舌に尽くしがたく・・・

僕は保健室で冷たくなってしまった。悪寒が走り、歯がガチガチ鳴り、顔面蒼白。体が全く動かなくなってしまったのだ。心配する子ども達。女の子達が交代で授業をサボリながら、僕の手足を温めてくれたくらい、僕の状態は酷かった。(このまま死んでしまうかも知れない・・・)

子ども達の快復ははやかった。魚が食べられない雅明は勿論牡蠣も食べられず、OK。一番最初に熱を出した昭弘も次の日にはサッカーをやっていた。「ちょっと腹が痛かっただけだよ」という雅美みたいな、凄いやつもいた。ところが僕は・・・

1ヶ月も快復しなかったのである。体中から力が抜けてしまったようだった。びっくりしたのは腕相撲。五中NO1の子とやって互角だったのに・・・クラスで一番弱い女の子とやっても全然勝てないのだ。サッカーなどはもってのほか。走ることすらできなくなってしまった。僕の牡蠣に対する恐怖心は相当なもので、15年以上たった今でも、スーパーの牡蠣を正視することはできない。勿論、食べるなんていうことは100万ドル貰ってもできる訳なく・・・オイスターソースを見ただけで、鳥肌が立つのである。という訳で、僕は牡蠣だけは食べれない。

* あれからもう30年もたつのに、牡蠣は食べられそうにない。15億積まれても無理。そんな感じである。それ程、苦しい記憶があるのだ。あの事件がなければ・・・10年は長生きできたかも知れないと思うくらいだ。

今日の写真1
若いですねえ・・・このカップル。この中に僕のDNAを持った子がいます。どの子だと思いますか?答えは明日の朝刊で・・・なんてね。

今日の写真2
我が家のガット張り機です。五中時代はヨネックスのバネ式。六中時代はプリンスの油圧式・・・それと比べると凄い性能です。ガット張り機も進化しているのですねえ。僕のテニスも進化していますけれど・・・韓国ドラマを見ながら張るのです。おほほほほ。

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