8月29日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第240弾!  2011.8.29(月)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第240弾!  2011.8.29(月)   たかやん

参った・・・
昨夜寝たのは結局4時・・・目が覚めたのが6時で・・・どうも体調がおかしかった。それでも無理して外に出かけたのがよくなかった訳で・・。結局・・・吐き気と腹痛に襲われ・・市役所に行くこともできず・・午前中、寝込んだ空父であった。ああ情けない・・・。

体が重い
午後からは塾。気合だけで笑顔を作る。そういえば中学校での21年間・・・苦しいことはいくらでもあった。人生気合だ。それにしても体が重い・・・まるで鉛の洋服を着ているようだ。

代表選
ああやって日本の総理大臣はコロコロと代わっていくのだなあ・・・。野田さんは「鳩山先生、管先生・・・」と呼んでいたけれど・・・本当に先生かね。おかしな集団だねえ・・・教師でもないのに、お互いを「先生」「先生」と呼びあうのだから・・・。どこかに生徒がいるのならわかるが・・国会に生徒はいない。だとしたら、誰にとっての「先生」なのだろう。全く訳のわからない人達である。さて、野田さんになったということは、消費税が上がるということ。日本は本当に大変なことになっていくということだ。民主が泣く・・アメリカと大企業のご機嫌ばかり伺う民主党政権に未来はない。米国党、大企業党が正しい名前じゃないのか・・・。

頭痛
夜になって、今度は頭が痛くなった。頭痛が消えるのは教えている時だけ・・・そう言えば、午後の塾の間も教えている間は苦しくなかったかも・・・・。子ども達って凄い力を持っているんだなあ・・・。

通告3
生徒指導上の問題があったときに、学年全体の前で「謝罪」するようなことは、それが教師主導であっても、生徒の発案であってもやるべきではありません。市教委が大貫陵平君の自殺から学んだことは何でしょう。同じことを繰り返さない為にも、しっかりと確認しておく必要があります。また、問題行動を起こす生徒にも学ぶ権利があるのですから、「別室指導」や出席だけ取って下校などという指導が日常化してはいけません。市内の中学校ではそういう指導は行われていませんか。
また、市内中学校で中学校2年生の女子生徒が、女性の先生を平手でたたいて、警察に逮捕される事件が起きました。その学校の事情もあるのでしょうが、もう少し生徒に寄り添った生徒指導ができないものでしょうか。学校内で対応できる問題なのではないでしょうか。

* 3月議会で取り上げようとしたのだが、大震災でだめになり・・・6月議会では取り上げずいたのだが・・・どうも最近の中学校の生徒指導には首をかしげるものが多いので、質問することにした。こういう問題に対して、親は言いたくてもなかなか口にできない。「子どもを人質にとられている」という言葉通り、内申に響くのでは・・・と、内心ドキドキしているからだ。モンスターペアレントは確かに存在するが、学校そのものがモンスターの集団なことだってある訳で・・・・。陵平やひさゆき君の事件を思いだしてみると・・・子供たちにとって、あの時の中学校はまさにモンスターの集団だったのだ。親のモンスターも先生のモンスターも自分がモンスターだと気づかないだけである。先生達の命も子ども達の命もみんなで守っていかないといけない。


『一生懸命』幻の学級通信 第六中学校3年4組 1994年 最終便から

宇宙
今からおよそ150億年前、ビックバンという大爆発があるまでは、宇宙はひとつだった。そして、今からおよそ50億年後、地球は太陽に含まれ、やはりみんな・・地球上のものはひとつになる。だから、どんなものも昔は同じひとつのもので、そして未来は又ひとつのものになる。つまり僕らは星から生まれて、死ぬと星になる訳で・・・。なのに人間は、同じホモ・サピエンスだというのに差別をする。中国人だ朝鮮人だ黒人だ・・・日本人だ・・・君達だけはそういう大馬鹿野郎にはなって欲しくない。そう思います。ましてや体に障害のある人やお年寄りなどの弱者を差別するような大マヌメには絶対になって欲しくない。そう思うのです。
「人を見かけで見てはいけない」と、父に習いました。いくら校則でスカートの丈は“膝下5センチ”と決めても、それは校則が間違っているのです。そんなもので人を見てはいけないのです。これはもう絶対です。
僕は新任の時から、子ども達を輝きで見てきました。瞳や表情がどれだけ輝いているか・・・それが僕には一番の問題だったのです。きっとこれからも、ずっとこの考えは変わらないでしょう。
「職業に貴賎はない」と父に習いました。これも本当です。何屋さんになってもいいのです。人の幸せを考えさえすれば何だっていい。そう思います。エリートになることはないのです。ホワイトカラーが1億人いたって、米は一粒もできません。

「ものには心がある」と父に習いました。自分のものに・・机や椅子に自分の学校に、日本という国土に・・心を感じて欲しいと思います。それが感じられれば、机を傷つけたり、道路にゴミを捨てたりはできないはずです。どうか、道路にゴミをポイ捨てするような大人だけにはならないでください。

長い間、僕のわがままに、僕のこの『一生懸命』に付き合ってくれて本当にありがとうございました。僕のことを“タカヤン”と呼んでくれてありがとう。さようなら3年4組。とっても素敵なクラスでした。  1994.3.16 0時08分AM  ともや

* 今夜で6中の3年4組の『一生懸命』は終わり。明日からは別のクラスを紹介するとしよう。五中になるか、六中になるか、二中になるか・・お楽しみに・・・

今日の写真1
六中の青ジャージと赤ジャージの子達で、初めて全国制覇した時の写真です。この子達の才能は「ビビらない!」という才能でした。全国大会を心から楽しんでいたのですから、たいした子達なのです。勝ちたくて、勝ちたくて、ご飯も喉を通らなかった顧問も、この子達のときは、朝から食べまくっていました。そして、試合そのものを楽しめたのです。この時、ただ一人2年生で出場したミッチーは高校1年生で県のチャンピョンになり、高校2年生の時には一般の大会でも県で優勝する程の選手になりました。彼は今、埼玉県警で頑張っています。

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