9月18日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第260弾!  2011.9.18(日)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第260弾!  2011.9.18(日)   たかやん

4時
今朝はちょっぴり早く目が覚めた。4時は流石に真っ暗で・・・そして、静かだった。何をしようか迷ったが、取り合えずパソコンのスイッチを入れて、メールをチェックする。すると、こんなメールが来ていた。

友達からのメール1
今日の朝日新聞に載っていましたが、朝霞市の小中学校の全校で、雨どいの下、側溝、排水溝などから朝霞市の基準である0.19マイクロシーベルトを超える放射能が検出され、除染を行うとのことです。やっぱりという感じです。私が先日、八石小で行った測定でも、雨どいの下、側溝などで0.25マイクロシーベルト前後の数値が出ています。簡易測定器なので誤差もあるかと思いますが、0.19を超えている可能性は高いのではと思われます。
市にはもう少し、細部まで測定してもらい対応してもらえないものでしょうか。新座市の除染基準はどのくらいなんでしょう。PTAで高精度の放射線測定器を購入するという意見に賛成です。
* 朝霞市の基準はそれ程低い基準ではない。子ども達の放射線に対する感受性を大人の4倍と考えると、実に甘い基準なのである。放射線管理区域の基準が0.6マイクロシーベルトなのだから・・・。0.25を4倍すると・・・小学生でもどれだけ危険かがわかる。

友達からのメール2
だいたいが0.12〜0.16だったのですが、東門横道路側の体育館横にある側溝が0.48〜0.52という高い値でした。やはり詳細に測ってからやるべきだったと思いました。
* 見えないから安心なのではない。測定して、安全な数値だとわかって、初めて安心するのだ。僕らはチェルノブイリから数百キロのところにいると思った方がいい。子ども達を放射能から守るには大人が知恵を出すしかない。「不安を煽る」と逃げるのは簡単なこと。だけど、その一言に子ども達の未来を賭けるのは馬鹿げている。あの時の水俣湾も、見た目は綺麗だったのだ。朝霞市が異常なのではない。新座市が鈍感なだけである。外部被爆に対して鈍感で、内部被爆にはもっと鈍感じゃあ・・・子ども達が可哀そう過ぎる。

9時半
休日議会が始まった。沢山の傍聴人が集まった。跡見女子大学合唱団による議場コンサートもあった。なかなかいい質問もあった。それでも議場でお休みになっている方達もいて・・・傍聴人はガッカリしただろう。(それとも、もう諦めているか・・・)来年の2月には選挙だというのに、議場でおやすみになっていて・・・余裕だなあ・・・いつもスレスレ当選の僕にはそんな余裕はない。トップ当選しても、この7年半一度も寝ていない平松大佑議員を見習って欲しいものだ。授業参観に来たら、みんなしっかりと授業を聞いているのに自分の子どもだけが寝ていた・・・居眠り議員に投票した有権者は、そんな気持になるんじゃあないかな。僕には議場で寝る勇気?も根性?もない。


『一生懸命』幻の学級通信 第六中学校 3年1組  1996年  から

疲れる前に休む
人間の心臓は休まずに70年も80年も動き続ける。凄いなあと思っていたのだが・・・本によると、どうやら時々休んでいるらしい。バコ ボコッ で一休み。バコ ボコッ で一休み。だから、長く働き続けられるというのだ。24時間のうち、心臓が本当に動いているのは9時間。つまり15時間は止まっているというのだから驚き桃の木である。長く働きたかったら・・・疲れる前に休んでしまおう。疲れてから休むのでは遅すぎらしいぞ。

家庭訪問日記4
将彬の家には久美子と由佳子と航と圭吾がいて、みんなで勉強していた。担任はもっぱらお母さんと妹の弘栄ちゃんとお喋り・・・パンを食べ、ババロアを食べ、アップルパイを食べ・・・圭吾に「先生の家庭訪問っていつもこうなの?」といわれる。『そりゃあお前、食べるのは基本だよ。』その内、ギターを弾き始め、歌いだす担任。「本当に家庭訪問?」『いいじゃないの。さ、リクエストは何かな?』風邪で声がでなかったが、3曲歌った担任であった。

実力テスト
朝の学活で『やったぜ、学年で・・・6位入賞!断トツのぺけ!』笑う1組。スタートがぺけっていうのはいいことだと担任は思っている。『で、いつゴロトップになる?2学期のはじめ?それとも1学期の終わり?』「無理だよ〜」『無理じゃないよ。わけないさ。本気で言ってるんだぜ・・』取り合えず、次の中間で3番くらいまでいっちゃおか。学年で1位は1組にいるんだし。(担任は176点で断トツの1位、航は168点で2位)みんなでその気になりゃあ、あっという間だ。

勉強法がわからない人は朋矢君、航君、香織ちゃん、由佳子ちゃん、修一君、奈月ちゃん、瞳ちゃん、徹君、義行君、葉月ちゃん、浩子ちゃんに聞きなさい。きっと自分でもやれる何かを教えてくれるから。

* そして、このクラスは本当に学年トップになった。できない子達はできる子達から、どんどん学んでいったのだ。朝勉をやり、夜勉をやり、子ども達はどんどん伸びていった。「たかやん塾」の原型がこのクラスにもある。特別のことをした訳じゃあない。ただ、クラスみんなで他のクラスの倍勉強しただけである。

今日の写真1
五中の黄組の応援団です。五中は35年前から紅白二色の応援団でした。途中、色が複数になり、今は赤と黄色が残っているようです。僕がいた最初の10年は地域の名物になるくらいの「応援合戦のある体育祭」でしたが・・・今もその伝統が残っていました。体育祭は二色対抗に限りますね。敵か味方かはっきりしていた方が燃えるのです。五中の先生達も赤と黄色のTシャツで盛り上がっていました。二色対抗と学級対抗のダブル対抗が一番盛り上がるのは、今も昔も同じなんですねえ・・・。

今日の写真2
学年対抗種目の「台風の目」です。これも二色対抗と学級対抗の両方で・・・みんな燃えていました。体育祭の種目はスピード感とチームワークが見えるものが面白いですね。

今日の写真3
最後の二色対抗リレーです。午前にも午後にもリレーがあって・・・この二色対抗リレーで競技の部の勝敗が決まる仕組みになっています。騎馬戦と棒倒しがあったら・・・もっと盛り上がるんでしょうけれど・・・・。兎に角、楽しかった五中の体育祭でした。

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