9月19日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第261弾!  2011.9.19(月)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第261弾!  2011.9.19(月)   たかやん

5時
今朝は5時過ぎから仕事。集中していたら、いつの間にか7時40分に。8時に約束をしていたことを思い出し・・・「げっ!朝ごはん食べてない!」バナナ2本と豆乳を飲んだ空父であった。

元気玉
今日のデモは凄かった。仲間が発信する動画や写真でそのデモの凄さがわかったのだ。早速、ツイッターで“元気玉”を送った。するとどうだ。全国から元気玉が送られたではないか・・・僕へのメールもわんさか来て・・・みんなの脱原発に対する強い思いを感じた空父であった。

元気玉2
最近、秋田から元気玉が毎日来ている。五中の10期生のみかからである。みかは担任したことがなく、理科を教えただけだったのだが・・・・。毎日、僕に元気を送ってくれるのだ。どうやら、元気玉はドラゴンボールの世界だけではないらしい。みかの元気玉で本当に元気がでるのである。教え子達に感謝、感謝の今日この頃である。


『一生懸命』幻の学級通信 第六中学校 3年1組  1996年  から

11月8日
父さん、誕生日おめでとう!68歳ですか。もうあれから11年もたったんですね。
今日は「三本の矢に」を読むことにします。父さんが僕らの為に残してくれた詩は やっぱり他のとは違います。不思議です。父さんの声がするのです。どの詩からも父さんの声がして、父さんの匂いがします。
まだ小さかった僕に、この詩をくれた時「今は難しくてわからないかも知れないが、朋矢が大きくなったらわかるようになるよ」と、父さんが言ったのを覚えています。
時々、父さんの夢を見ます。夢でしか会えないから、とっても嬉しいのだけれど、できたら元気な頃の父さんで出てきてください。飲んで、給料袋を忘れてきて、「お前ら、1ヶ月飯食うな!」と、威張っていた頃の父さんで出てきてください。
母さんは元気です。この間、66歳になりました。バレーボールも続けているようだし、ゲートボール大会で優勝したとも言ってました。
父さん、学校を辞めることにしたんですよ。父さんが生きていたら何て言ったでしょうね。うーん、また怒られて、勘当されていたかも知れませんね。坂本竜馬の影響も大きいと思いますが、父さんの影響も随分大きいと思います。何屋になってもいいんですよね。職業に貴賎はないんですよね。まあ、天国から見ていて下さい。父さんの子ですから、雑草の子ですから、少しくらいじゃあ死にやあしませんから・・・・。ともや

* 六中時代、学校を辞める気になったのは・・・長男の亮の心臓病が心配で、もう一年だけ六中に残らせて欲しい・・・そう校長に言ったのだが、その時のU教育長に拒否されたからだ。理科のK先生が病気になった時には、その先生の授業もみんなやり、空き時間がゼロ時間の数ヶ月もあった。体育のI先生がヨーロッパへ研修に行った時には体育の授業もやった。国語のY先生が切迫流産の時には国語の授業もやった。10年間、毎朝六中の周りを掃除し、朝は一番早く来て学校の鍵を開け、夜は一番遅くまで残り、鍵を閉めて帰っていた。そんな僕が、息子の命がかかっているからと、「あと1年だけ残してください」と、お願いしたのに・・・・なら、もう3月でやめてやる!そんな気持になったのだ。実際には次の2中でやめるのだが、息子の命を何とも思わない冷たい市教委に頭にきたことは確かなことだ。すっかり忘れていたが、この学級通信のお陰で思い出した・・・・。僕にとって、息子達の命よりも大切なものは何もないのだから・・・。

今日の写真1
この一生懸命の3年1組の女の子達です。4人ともルーズソックスを履いています。当時の1組でルーズソックスを履いていなかった子は一人だけでした。担任は、女の子達の靴下には全く興味がなかったので、気がつかなかったのですが・・・子ども達が教えてくれました。因みに、長い髪も肩についたら駄目みたいな規則があったようですが、それも無視しました。だって、小さい頃から長い髪の女の子が好きだったから・・・・束ねたら勿体無いでしょう。でも、この子達は優秀だったんですよ。人は靴下じゃあないんですね。

今日の写真2
修学旅行の二日目だと思います。夜中に僕らの部屋に遊びに来た子ども達です。2時くらいまで語った記憶があります。僕と誰の部屋かって?それは言えません。もう一人は、今でも現役で先生をしていますから・・・・。

今日の写真3
中学生の僕です。ラケットを持っている少年です。軟式テニスの新宿区のチャンピョンだった頃で、早稲田からも早実からも誘いが来ていました。誘いに乗って早稲田に行っていたら・・・人生は全く別のものになっていたでしょうね。1期生4期生7期生は勿論、一早とも会えず、安孝やエイトとも会えず、一久や大力、そして茜やこころや愛や恭子とも会えなかった訳で・・・この3年1組の子達とも会えない人生だったでしょう。石神井に行き、北大に行って本当によかったと思います。

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