9月20日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第262弾!  2011.9.20(火)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第262弾!  2011.9.20(火)   たかやん

雨の中・・
今日は休会日。しかし、学校はお休みではない・・・。ということは、空父の出動日である訳で・・・膝の痛みを抱えた空父は、自転車を諦め、カッパにバイクで八石小に向ったのであった。

左膝
ちょっと足を滑らせただけなのに・・・膝に激痛が走っている。どうやら半月板がどうにかなっているらしく・・・。包帯でぐるぐる巻きになった空父であった。

サッカー
左膝の半月板は六中テニス部子達とサッカーをやった時の怪我だ。あの頃のテニス部は魚―ミンクアップがサッカーという練習で・・・その練習でマジになり、怪我をしてしまったのだった。

読書
こういう日は、本を読むに限る訳で・・・昼過ぎから本を読み始めた。夕方、数時間は塾に燃えたが・・・真夜中過ぎまで、本を読み続けた空父であった。

『一生懸命』幻の学級通信 第六中学校 3年1組  1996年  から

麦の穂

麦の穂 となりも麦の穂 ぶつからず 離れすぎず 

特に高いものもなく  にてるけれど みんな違う

麦の穂 太陽の弓矢             星野富弘

僕は富弘さんの、この詩が好きだ。 この絵も大好きだ。麦の穂だって、みんな違うんだから、人間の子どもが一人一人違うのは当たり前。
そこいら辺を学校はわからないと・・・勿論、親もね。
太陽の弓矢は大人の決めた枠になんか、はまる訳がないんだから・・・

スカートの丈か・・・星野富弘が聞いたらなんて言うだろう。
ベランダに出るな!か・・・星野富弘が聞いたらどう思うだろう。
僕はベランダに出て、5月の空気を一杯吸いながら、みんなと語りたい。

* 陵平のいた二中だけではなく、僕のいた六中にも「ベランダに出るな!」という先生はいました。流石に五中にはいなかった気がしますが・・・・当時の五中は、みんなベランダから外を見るのが当たり前でしたから・・・そう言えば、朝霞三中もそうでしたね。共に、自由な校風だったのでしょう。六中にはうるさい先生もいたのですが、僕みたいに、理科の授業でベランダに出る(かなりわざと)ような教師もいました。ベランダにでることが大問題にはなりませんでしたね。僕が六中に行ったとき、スカートの丈にうるさい先生達がいました。「もっと短くしろ」「長いスカートはけしからん」という訳です。そこで、僕はテニス部の女子全員にこう言いました。「明日から、全員膝上のスカートを履いて来い!」そういう命令を出したのです。当時の校則では、長いスカートは禁止されていたのですが、短いスカートを履く子はいなかったので、何も問題はない。そこを逆手にとったのです。反応は凄かったですね。あっという間に長いスカートの子が六中からいなくなりました。多分、流行おくれのダサさに気がついたのだと思います。その代わり、短いスカートの子達が増えました。“校長の話とスカートは短い方がいい”当時の六中の校長の言葉です。おおらかな時代だったのです。

今日の写真1.2
4歳の頃の僕です。暇な人はどこにいるか探してみてください。今から50年以上前の写真ですからねえ・・・

今日の写真3
航海実習中の僕です。海に出てから、海の男達の偉大さが身に染みました。漁師は命がけの仕事をしている。そう肌で感じたのです。国の基本は大事なのは第一次産業だ!そう思いました。ネクタイをしているホワイトカラーだけで国が成り立っているわけじゃあない。百姓や漁師がいて、みんな飯が食えるのだ!僕の原点がここにあります。だから、中学生に「ちゃんとネクタイをしめなさい」などとはいえないのです。「いい学校を出て、安全で給料が高くて、汚れない仕事をしなさい」などと言える訳がないのです。「どんな仕事も尊いのだ!」「何屋になってもいいんだ!」「職業に貴賎はない!」そう子ども達に伝えたかったのです。

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