9月25日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第267弾!  2011.9.25(日)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第267弾!  2011.9.25(日)   たかやん

5時
いよいよ水泳大会の日がやってきた。北島康介が泳いだという辰巳国際水泳場とやらに向う。朝から晩までの日程らしいので、車で行くことにする。向うは首都高である。

高島平
空は朝食をとり、トイレにも行って・・・僕はトイレだけ行って・・・首都高に乗った。日曜の朝は空いていて・・・あっという間に辰巳まで行ってしまった。そして、駐車場へ。「早く行かないと停まれないわよ」という割には楽勝で停まれたのだった。

椅子取り
「強いチームがプールに近い席は全部とってるから、2階席か3階席しか座れないわよ」と噂の座席だったが・・・実際は、強いチームでもなんでもなく、早く行ったチームが、どんどん席を取ってしまっていたことが判明。それなら、次回は一番前の席を取ってやる!と決意したのだった。だって・・・3階からは小さくしか見えない訳で・・・・


フリーの記録はベストに及ばなかった。応援席に帰ってきて、泣いている空。相当悔しかったのだろう・・・。そりゃあ、そうだ。あんなに泳いだのに結果がでなかったのだから・・・。フリーとバックにエントリーしていた空。自信があったのはフリーだったからなあ・・・。

笑顔
予想通り、バックの記録もベストに届かず・・・でも、笑顔で帰ってきた空。「ゴーグル買って!」とずるい作戦に出る。僕の知らないところで、ママにも帽子を買ってもらったらしく・・・ゴーグルと帽子をせしめることに成功する。記録が出たら出たで、「買って!」と言ったのかも知れないが・・・心配して損した。

ハンスト
ちょっと頭にきたことがあって、昼ごはんを抜いた。頭にくると食べなくても我慢できる訳で・・・夕飯も抜いてみた。24時間以上、水だけしか口にしなかったのである。ハンガーストライキって、こんな感じなんだなあと思った。今の気分では48時間、いや72時間はいけそうである。


『一生懸命』幻の学級通信 第六中学校 3年1組  1996年  から

昔々のお話
「五中生が武器を持って三中の方に歩いている」と、住民から通用があり、僕らは車に飛び乗った。乱闘寸前で騒ぎを止め、ホッと一息。五中の子達を探し出し、全員連れて帰る。全部で20人はいたかな・・・。相談室で正座の説教は長く続きそうだった。担任は痺れを切らし・・突然、相談室に入り、無言で1組の子達だけを廊下に引きずり出し・・・ぶっ飛ばした!『ついて来い!』と1組の教室へ。『そんなに喧嘩がしたいのなら、俺が相手してやる!机を後ろに下げろ!シャツ脱いで裸になれ!』そして、乱闘。はじめの内こそ優勢だったが、3対1の戦いは苦しかった。その内、プロレス技が出始めて・・・ギブアップ。暫く動けないくらい消耗してしまった。
担任が怒ったのは『何故、武器を持って行ったのか。男の喧嘩は素手でやれ!』ということと・・・『何で俺にだけは言っていかないんだ!』ということ。考えてみれば、担任にいえる訳はないのだが、勉強も遊びも一緒にやり、しかも我が家に合宿していた子達もいたので、喧嘩だけ仲間はずれにされたようで寂しかったのかも知れない。
その子達はアメリカンスクールとも喧嘩をするという、何ともまあ元気のいい子たちだったが、その分、こっちも若くて、元気で・・・毎日のようにぶっ飛ばしていた。
面白かったのは、大貧民で『10回目に負けた奴が全員からビンタな』というルールを担任が考え出し・・・・その時に限って、担任が2回連続で負け・・・9人から合計18発、思い切り殴られ・・・2週間くらい顔の腫れがひかなかった。なんてこともあった。その時の子ども達の言葉が印象に残っている。「俺、一度でいいから、先生を思い切り、ぶん殴ってみたかったんだあ・・・」「すっげえ、スッキリした。そして、入試の前もこの野蛮な雰囲気は変わらず・・・『気合入れて行って来い!』と、みんなからビンタされて、早稲田学院に合格した奴もいたっけ・・・。
その子達も、もう30歳。時々会って飲むと、必ずでるのが、僕に殴られた話。僕は殴ったら、忘れる主義なので、殆ど覚えていないのだが、やられた方は覚えている訳で・・・。今じゃあ考えれない・・・昔々のお話。

* このときの子達はもう45歳になっている。僕とは丁度一回り違う子達で・・中には46歳になってしまった子もいるはずだ。当時の僕は24から26歳。若造もいいところである。今でもよく会うのだが・・・いつも話が尽きなくて・・・それ程、楽しい時を共有したのである。

今日の写真12.3
始めて辰巳の50mプールで飛び込む空です。(一番奥)2年生は一人だけで、後の9人は3年生が1人、4年生が2人、5年生が2人、6年生が4人でした。その中で2位にはなったのですが・・・残念ながらベストには0秒59及ばず、涙を流したという訳です。親は『一生懸命やればいいんだよ』と伝えていますが、本人にしてみれば、ベストを出した前の大会から、あれだけ練習してきたのに・・・そういう思いがあるのでしょう。でも、親はこうも思うのです。(負けを経験することはいいことだ。この負けを次に生かせばいいのだから・・・)と。(たくさん負けて、負けて・・・そして、強くなれ!)と。ひさしぶりに、腹が立った一日でもあり、実に腹が減った一日でもあったのですが、空が頑張る姿を見れたのですから、幸せな一日でもありました。

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