Diary 2011. 9
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9月11日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第253弾!  2011.9.11(日)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第253弾!  2011.9.11(日)   たかやん

9.11
あれからもう10年か・・・ツインタワーに飛行機が突っ込むのを所沢のテレビで見たんだった。僕らがニューヨークに向けて立ったのは17日。マンハッタンの南側の空にはまだ煙がもうもうとたちこめていて・・・グランドゼロにははっきりと炎が見えた。3,11も10年たったら、なんとか復興しているのだろうか・・・それとも、チェルノブイリ以上のもの凄い放射線被害で、隔離され、閉鎖され・・・当時の政治家や東電は糾弾されているだろうか・・・。

川掃除
いつものように、9時から川掃除が始まった。今回も初参加ありで、なかなか楽しい掃除になった。途中で雨が降ってきて、ちょっと心配だったが・・・後半は雨も上がり、気持のよい掃除になった。

『一生懸命』幻の学級通信 第六中学校 3年2組  1990年から

修学旅行日記4
2日目の夜、教師は疲れていて起きてられない・・・そこが生徒達の狙い目だった訳だが・・・・・。真夜中の2時、男子の部屋に行こうとすると・・・廊下に昭ちゃんがどかっと座っている。さらに進んでいくと、石井先生の声。正座をしているのは隣のクラスの男子。あいやあ・・・凄い根性である。俺は例によって、ウィンブルドンを見て、3時半。手紙を書いて・・・いきなり朝。本当に頭がボーっとしていた。

3日目、清水寺。バスガイドが「2組さーん、並んでください」と言っても、全く無視する子ども達。『並べ、こら!』と俺が言って、やっとボチボチ並びだす。特に女子は酷かった。写真撮影の時、遂に俺はプッツンして『宗像先生よろしく!』といって、2組を捨てて先に行ってしまった・・・。だから、清水寺での写真に俺は写っていない。

梅小路蒸気機関車舘に行った。D51があった。本物の蒸気機関車が10台以上置いてあった。そして・・・汽笛がなり、汽車は走りはじめた。懐かしい音だった。遠い昔に聞いたことのある音だった。汽車のススでみんなのYシャツとかが真っ黒になったが、俺は平気だった。小さい頃、準急白山で富山に行く途中、トンネルで窓を閉め忘れ・・・真っ黒になった兄貴の顔を思い出した。お互いの顔を見比べて大笑いをした遠い昔を思いだしたのだ。

新幹線の中はUNOに燃えた。他の先生はみんな寝ていたが、俺は燃えていた。英郎、雅一、晋一、純一郎、隆生、彰、渉そして俺。罰ゲームは新幹線の水の一気飲み。水筒の蓋になみなみと注いだ水を一気に飲むのだ。これが結構きつかった訳で・・・雅一も隆生も渉も、みんな吐きそうになりながら飲んだのだった。(英郎は5杯ものに、その後気持悪くなった)俺は最後の最後に隆生のフェイントに引っかかり・・・飲まされたのだが、苦しくて涙が出そうになった。こうして、2組の修学旅行は終わった。

茶話会
担任が30分以上遅刻して、茶話会は始まった。専ら話題は修学旅行。由紀夫のお母さんにひっぱたかれるかと思ったが、笑ってくれてほっとした。1時間くらいで帰る積りが、お母さん達の話が面白いので4時過ぎまでいてしまった。その席で『三者面談はやめましょう。基本的には二者面談でいこうと、思います。』という話をした。みんな賛成してくれた。という訳で、11日からの三者面談は、二者面談でいきます。どうしても、という方は連絡してください。次回は親父飲み会やりましょう。

* 三者面談が二者面談に・・・いまなら怒られてしまうのかも・・・当初の予定と違うってね。でも、2組はざっくばらんに話せていたので、こういう変更もOKだったのでしょう。勿論、この学級通信があったから、可能だったのだと思います。信頼関係ってやつですかね。

今日の写真1
今日の川掃除のメンバーです。今日は総勢21名という過去最多参加者数を記録しました。川遊び以外では一番多かったのです。新しいメンバー雅秋が入ったのです。今日で3年目に突入する僕らとしては嬉しい限りです。来月は2週か3週の土日のどこかでやる予定です。みんなよろしくね。都合のいい日をどんどんメールしてね!!

今日の写真2
15時から18時の予定の反省会が19時近くまでなり・・・30代から50代の男だけなのに、おおいに盛り上がり・・・ドビン・チャビン・ハゲチャビンに燃え・・・笑いに笑って・・解散したのでした。

今日の写真3
そんな中、腕立てをする馬鹿が二人。酒を飲んで腕立て・・・若いというか、馬鹿っていうか・・・もう、叱ってやってミキちゃん!

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9月12日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第254弾!  2011.9.12(月)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第254弾!  2011.9.12(月)   たかやん

4時
外はまだ真っ暗だった。でも、駅立ちだとパッチリ目が冴えるのよねえ・・・。顔を洗って、髭を剃って・・・ついでに風呂に入って・・・ゴミを出して・・・新聞を読もうとしたら無くて・・・今日は休刊日だったか・・・・と、テレビを付けて・・・5時40分、バイクにまたがって、ひばりヶ丘に向ったのだった。

5時55分
いつものように階段の下で議会報告を配り始める。20分もしない内に100枚の束が消えた。60分で300枚、120分で600枚。180分で900枚になる計算である。よしのり県議などは軽く1000枚超えるというから、僕などはまだまだである。

笑顔
今日も、それはそれは、沢山の笑顔と会うことができた。メインは五中の子達だけれど、六中の子達もたくさんいたし、いなげやで会った地域の人もいた。兎に角、沢山の笑顔と会えたことが嬉しい。駅立ちの時間は3時間5分。ちょっと、疲れたけど・・・元気一杯の空父であった。可愛い女子高生にも貰ってもらったしねえ・・・あれはきっと・・・

にいざ原子力教育委員会
駅立ちの後は、放射能汚染問題を考えた。金曜日の一般質問に備えての勉強会である。まあ、みなさん色んなことを沢山勉強されていて・・・理科の教師も真っ青・・・腰を吸えて勉強しようと、思った空父であった。

13時
総務常任委員会が始まった。今日は条例2本と第4号の補正予算と22年度決算の認定の結論を出す日だった。色々な質疑と説明のあと・・・僕は条例1本に反対し、決算を「認定しません」と言ったのだった。詳しくは本会議の討論で・・・・。

『一生懸命』幻の学級通信 第六中学校 3年2組  最終便 1990年から

最後の一言

もっと一緒にいたかった   もっと一緒にいたかった

もっと話がしたかった もっとお前たちの話を聞いてやりたかった

もっとサッカーやりたかった  女の子達とも遊びたかった

やっぱり今日は悲しいよ  一年て いつからこんなにはやくなったんだ

まだまだしたいことがある  もっともっと一緒にいたかった

何で今日が卒業式なんだ  悲しくてやりきれないじゃないか


俺、お前たちに何をしてやれたんだろう

俺と一緒にいて 本当によかったか・・・

俺のいいところはゴミを道路に捨てないことくらい

それだけは絶対しないから   お前たちもそれだけは俺に似ろ

ああ 本当にもっと一緒にいたかった

こんなに胸が苦しくなるなんて 思ってもいなかった


でも、卒業は お前たちには出発だ

お前たちは振り返らずに行けばいい

俺はいつまでも お前達のこと 見ているから

バイバイ 俺の子ども達  バイバイ 3年2組   バイバイ

* 今日で六中の3年2組(緑ジャージ)の『一生懸命』は一応終わります。明日からは五中の・・・・内緒でーす!

今日の写真1
まあ、ブサイクな男の子ですねえ・・・。しかも人形を抱いているのですから・・・変な子ですねえ・・・。新宿の公務員宿舎での写真ですね。

今日の写真2
34年夏と書いてありますから、僕が5歳の頃の写真です。西戸山中学校の直ぐ下の公園で猛おじちゃんが撮ってくれた写真です。

今日の写真3
32年10月とありますから、僕が3歳の頃の写真です。百人町4丁目RC−11に住んでいたんですねえ・・・。線路の直ぐ脇の公務員宿舎で、電車の音が子守唄でした。今でも電車や汽車の音は全く気になりません。山手線、貨物、西武新宿線が走っていて・・・その6本の線路の上を走って・・・向こうまで行って、帰ってくるのが、僕らの遊びの一つでした。お母さんは今でも知らないでしょうねえ・・・。

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9月13日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第255弾!  2011.9.13(火)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第255弾!  2011.9.13(火)   たかやん

5時
僕は高校の教室で智子と頬を寄せ合って、将来のことを話していた。智子の唇が僕の唇に近づいてきて・・・・(こんな明るいところで。。。マジかよ・・・あ、でも止められない・・・)その時、隣の教室から声が聞こえたのだ。「行ってみよう・・・」「何かがクンクン言ってるわよ」そこで、目が覚めた。お腹を空かしたココアの泣き声だった。

挨拶
東門の見守りが終わり、校庭にいると・・・・沢山の子ども達、そして先生たちが「おはようございまーす!」と元気よく挨拶してくれた。八石小の先生達は挨拶上手な先生が多い。上手な挨拶をする人は、みな自然で、大きな声で、笑顔で、相手に気がついた瞬間にする癖がある。反対に下手糞な人は、不自然で、小さな声で、笑顔がなく、相手が気がつかなきゃ省略する癖がある。折角の人生、挨拶上手になりたいものである。挨拶はただだ。しなきゃ損、損。

一般質問
今日から一般質問が始まった。トップバッターは民主党の清さん。だだだだだ!っと喋って、だだだだだ!っと再質問して・・・応援に来た奥様が到着する前に終わってしまった。
2番目は傑議員。彼もポンポンぽんぽんと喋って、ポンポンポンポンと再質問して、ぽぽん!と気持ちよく終わらせ、昼食休憩。13時からは滝本議員の質問で、なかなかいい質問だったのだが・・・13時半から14時当たりは、眠気に勝てない人が多く・・・執行部も含め、6人程があちらの世界へ・・・・そして、平野議員がササっと質問して、サササっと再質問して、相変わらず原稿なしの気持のいい質問を終わらせ、今日の最後は秀夫議員。質問と答弁が噛み合わず・・・議場が沸いたのであった。

17時半
そして、夕方からは小学生達との塾。これがまたあっという間に時間が過ぎていく訳で・・・塾ってなんでこんなに楽しいんだろう。と、幸せを感じる空父であった。

羽生善治
僕は将棋の羽生が大好きである。いい顔をしているのだ。とっても綺麗な顔というか・・・若い頃から、いい目をしているから好きなのだ。7冠になっても、2冠になっても、彼の顔は曇ることがない。常にベストを尽くす男の顔はいい顔なのだ。大好きなことをして、飯を食う。僕らが思うより、きっと厳しいことなんだろうけれど・・・やっぱり幸せだなあと思うのである。そういう僕も、とっても幸せである。大好きな子ども達と毎日、一緒に勉強しているのだから・・・。

富裕層増税
オバマは富裕層増税に踏み切るらしい。あれだけ意味の無い戦争を続けていれば、金は無くなるだろうから・・・増税は避けられない。日本と違うところは富裕層から巻き上げようとしているところ。消費税とは対照的である。富裕層だけで国が成り立っているわけじゃあないってことに気がついたのかもねえ。

夕飯での会話
「あのね、空ね・・・結婚してもね」(え、結婚?流石、俺の息子だ。で、誰とする気だ?Sちゃんか?)「お父さんと一緒に暮らす」『えーっ!(嬉しいけど・・・)お母さんは!(俺だけかよ)』「あ、お母さんもお父さんも一緒だよ。」『なあんだ。ああ、ビっくリした。』そんな日が本当に来るのかも知れないなあ・・・。“おひさま”みたいで・・・・幸せ、幸せ。

今日の写真1.2.3
すみません。今日も白黒です。東北大との定期戦での僕です。同じような写真ですが、同じ場所ではありません。東北大との定期戦は札幌と仙台で交互に行われるのです。この定期戦、早慶戦の次に古いらしいのですが・・・勿論、現役は今でも続いています。そして、OBだけの東北戦も毎年やっているのです。メンバーが足りなかった仙台で一度不覚をとりましたが・・・東京でのOB東北戦では、負けた記憶がありません。今年の秋もきっと北大が勝つでしょう。勝負の世界は厳しい・・・強い方が勝ってしまうのです。
*この日記を読んで、東北の先輩達は燃えるんだろうなあ・・特に悦三郎さんは・・・おほほほほ。返り討ちじゃ!!小山・石川なら大丈夫・・・問題は、小山・西谷だなあ・・・。でも、小次郎さんと昭をやっつけてしまえば・・・だはははは。    たかやん


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9月14日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第256弾!  2011.9.14(水)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第256弾!  2011.9.14(水)   たかやん

3冊
放射能関係の本を今日一日で3冊読んだ。読めば読むほど危機感を感じて・・・・。子ども達の為に、何とかしなきゃ!と思うようになった。そうそう・・意見書も作らないとね。


『一生懸命』幻の学級通信 第六中学校 3年1組  1996年  7月8日から

初日
大相撲も始まったが、1.2.4組の読書会もスタートした。「さあ、行くぞ!」と月曜日の朝から気合が入ってい功雄君と真由美ちゃん。『さあ本をだせ!』しかし・・・・あれだけ言ったのに、廊下に正座子達がワンサカいた。哲也、芳明、由紀、直美、泰広、由美子、つぐみ、明美、絵美、 真備、航、裕作、祐子・・・
やるときは、やらなきゃね。燃える時は、燃えなきゃね。15歳のジジババなんか、見たくないよ。俺は読むよ。300冊。去年は250冊、読んだから・・・。

19万
由紀と浩子が廊下で夏期講習の話をしていた。「どうする?」「行く?」「でも19万だよ」『やめとけよ』「でも、行かなきゃ、もっとわからなくなる・・・」『俺に聞けよ。タダだよ。』「でも・・・・」金ドブだよなあ・・・。夏休みは400円の問題集を3〜5回繰り返せばいいんだよ。400×5=2000円。わからないところは担任に聞けばいいし、FAXだっていいよ。夜遅く、出歩かなくていいし。。。19万あったら、家族で旅行に行けるよ。子供のやる気はお金じゃあ買えないんだなあ・・・。

虫歯0
「もしもし」『篠?』「はーい!学校一緒に行きません?」『OK、いいよ。』養護の篠原先生の家は、僕のパジェロの駐車場の前。という訳で・・・朝は3人で学校へ行った。途中、虫歯の話になり・・・「虫歯0だったんだよね」「うん」最近、親子で歯磨きをしっかりやっているせいかも知れないが・・・亮は虫歯になれない体なので、ホッとしたのだった。

1108
朝一番で市民税課へ。バイクのナンバーを変更する為だ。偶然にも新しいナンバーは1108。父さんの誕生日と同じだった。せの1108。“世界で一番いい親父”と覚えることにした。

今日の写真1
そのナンバープレートです。ゾウキリンが可愛いですよねえ。「世界で一番いいおやつ」「世界で一番いいお化け」「世界で一番いいおっぱい」うーむ、それもあるか・・・。

今日の写真2
ココアです。一早が「犬の写真載せすぎ!」と怒るのですが、時々は載せたくなる訳で・・癒さる人は、おおいに癒されてください。

今日の写真3
久しぶりに、親友の至の家に行きました。最近、人気のこころは僕の隣に写っています。茜、ヒロミさん、まきちゃんと女性に囲まれて・・・ちょっと元気になった空父でした。


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9月15日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第257弾!  2011.9.15(木)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第257弾!  2011.9.15(木)   たかやん

5時
テニスの練習が終わり・・・『こころー!風呂に入るぞー!』「あいよー!」ん?こころが風呂に入ってきたところで目が覚めた。ふー、危ない、危ない・・・。汗びっしょりの空父であった。

7時55分
集団登校班のスタートは55分を回っていた。お休みが分からなかったのだ・・・。スタートが5分違うと到着も5分違う訳で・・・八石の校庭をダッシュした空父であった。

8時30分
東門と校庭の見守り終了。ダッシュで家に戻る。シャワーを浴びて、着替えて・・・バイクに跨る。歩きは勿論、自転車でも間に合わないのである。

『一生懸命』幻の学級通信 第六中学校 3年1組  1996年  から

中間テスト2日目
9時05分  担任、航と、殆ど同時に終了する。寝る体勢に入ったのは芳明。(駄目だあ〜)らしい。
今日は風が涼しくて気持がいい。ベランダからいい風が入ってくる。
9時10分  修一、徹、克彦、終了。おや?泰広も終わって、寝ている。
9時20分  『アハハハハ』本を読んでいた担任が突然笑う。失礼。(試験監督なのに、テストを一緒にやったり、本を読んだり・・・しょうがないねえ・・)
将彬が僕を見つめる。ん?次は有香とにらめっこ。担任の勝ち。その次は浩子。これも勝ち。
9時22分  ジーパンに半袖のシャツで北地先生登場。爽やかでなかなかよろしい。
9時25分 つぐみとにらめっこ。つぐみ粘るが、最後は担任の勝ち。両手を万歳して背伸びするのは絵美。

10時37分  『あと3分』英語がもう直ぐ終わる。テストから解放されるまであと2分。心なしかみんなの顔がにやけている・・・。直美などは、もう殆ど笑っている。克彦も嬉しそうだ。心はもう京都なのかも知れない。
10時40分  チャイムが鳴る。「終わったあ〜!」「4時間、カラオケ行こうね!」「やっと終わったあ〜」京都じゃなくて、カラオケだったか・・・。
『大掃除だぞー!』『さあ、楽しい大掃除だぞー!』直ぐにカラオケには行けないんだなあ。
はっはっはっ!

* 昨日から、六中最後の3年1組を登場させている。このクラスは滅法喧嘩好きの男達が集まり(集められ・・・)、女の子達も元気がよく・・・当時の教育長がわざわざ見に来たのだから笑える。3年1組は金髪やルーズソックスなどには見向きもしない担任と、やんちゃな子ども達との、愛と涙のクラスだったのである。勉強はどうしたのって?そりゃあ、やりましたよ。最初はダントツのぺけ。そこから、最後はトップまで頑張りましたよー!

一般質問
今、思い出したのだが・・・明日は僕の一般質問の日だった。例によって、原稿など全く書く気はなく・・・・脳と口が勝手に動くのを待つだけである。答弁次第ではどこで熱くなるかも分からず・・・議会は生ものなのである。明日の通告は次の通り。

9月議会 通告原稿

1. 市の非正規雇用職員の待遇を改善すべきだと考えます。時給を上げることや、単年度契約ではなく、複数年契約をすることで市民に対する仕事の質を上げていくことが大事ではないでしょうか。
(資料要求 現在採用されている新座市の正規職員と非正規雇用職員の割合とそれぞれの平均年収がわかるもの。雇用年数別の非正規雇用職員数。)

2.PTAの加入は任意なものか、強制なのか、市教委はどう捉えていますか。PTAの役員決めがどの学校でも大変なようですが、PTAの位置づけはどうあるべきだと市教委は考えているのでしょうか。
(資料要求  市内23校PTAの会費と加入条件が分かるもの。)

3.生徒指導上の問題があったときに、学年全体の前で「謝罪」するようなことは、それが教師主導であっても、生徒の発案であってもやるべきではありません。市教委が大貫陵平君の自殺から学んだことは何でしょう。同じことを繰り返さない為にも、しっかりと確認しておく必要があります。また、問題行動を起こす生徒にも学ぶ権利があるのですから、「別室指導」や出席だけ取って下校などという指導が日常化してはいけません。市内の中学校ではそういう指導は行われていませんか。
また、市内中学校で中学校2年生の女子生徒が、女性の先生を平手でたたいて、警察に逮捕される事件が起きました。その学校の事情もあるのでしょうが、もう少し生徒に寄り添った生徒指導ができないものでしょうか。学校内で対応できる問題なのではないでしょうか。

5.馬喰橋から県道に抜ける抜け道(野寺1丁目と道場2丁目の境)が非常に危険な状態になっています。坂道である為に車が県道の歩道に乗り上げて止まることが多いからです。車と自転車、車と歩行者の接触事故が増えています。この道路を事業者以外の車両は通行禁止の歩行者用道路にするか、一方通行にするように県警に働きかけてはどうでしょうか。
(資料要求 該当する道路の地図)

6.この秋、道場2丁目に大型パチンコ店が開店します。地元では不安の声が上がっていますが、法律的には問題がないようです。地元の住民からは次のような要望が出されています。
1. 営業時間をできるだけ短くする。
2. ゲームセンターを併設しない。
3. 車両誘導員とともに、未成年、不審者、暴力団などの入場を監視するガードマンを常時、出入り口に配置する。
4. この場所は閑静な住宅地に囲まれた場所であり、また片山小学校の児童が通う通学路でもあるので、周囲の住環境を守り、児童への影響を考慮し、ハデ(光、色、デザイン)な看板や、品位のない看板を出さない。
5. パチンコの音など騒音を漏らさない。
6. 呼び込みをしない。
7. 歩道上に、ノボリなど立てない。
8.新台入れ替え時などの客の行列を、道路など敷地外には並ばせない。
9. 煙草の排煙設備の充実。
10. 周囲に塀をはりめぐらせ、建物および敷地内が外からあまり見えなくする。

子ども達の為に市民も動いていますが、市や教育委員会からも業者に対して、同様のお願いすることはできませんか。
(資料要求 大型パチンコ店建設予定地と小学校、公民館からの距離がわかる地図)

7.福島第一原発から放出されたセシウム137は広島に落とされた原爆のおよそ168個分であることが新聞で報道されました。セシウム137は食品や土壌に対し、深刻な汚染を引き起こします。子ども達の内部被爆が心配です。特に学校給食には注意を払わなくてはいけませんが、放射線の内部被曝に対する対策をお聞きします。
(資料要求 給食の各素材の原産地がわかるもの)
という訳で・・・頑張りマース!!

今日の写真1
最初の卒業生のゆかりとのツーショットです。知らない人が見ると、その辺にいるカップルに見えないこともありません。8歳しか違わなかったんです。兄と妹・・・そんな感じでした。

今日の写真2
最初の卒業生の男の子たちの成人式の写真です。この子達も、もう50歳になります。15歳の中学生も35年たてば50歳になるんですねえ・・・。いやあ、信じられない気持です。

今日の写真3
五中の4期生の智が1年生の時の写真です。この子が将来、クラス会を仕切ることになるとは・・・僕と一回り違うのですが、並ぶと同級生みたいになっちゃいました。ふふふ。

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9月16日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第258弾!  2011.9.16(金)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第258弾!  2011.9.16(金)   たかやん

5時半
いつものように目が覚めて・・・。お風呂に入って、さっぱりしてからパソコンに向う。自分の一般質問の日だが、全く緊張感がない。まずいぞ・・・少ししはピリっとしないと・・・。“質問ノート”は今日、議場で作ることに・・・。意見書を書こうとしていたのだが・・・どうも、うまくまとまらず・・・断念。朝ごはんを食べて、空と一緒に八石小へ向った。

6年生
色々な子と話しながら行くのだが、やはり6年生と話すのが一番面白いかも・・・大人に近いというか、中学1年生よりも可愛いというか・・・話が通じるというか・・・。

7時40分
空と一緒に家を出る。いつも交通指導員さんの高橋さんが、笑顔で立っているところには、教頭先生が笑顔で立っていた。遠くから「おはようございまーす!」と挨拶する教頭先生。挨拶名人である。

8時00分
東門に到着。久しぶりに全員と会えた。最近、登校班のスタートが遅く、東門に着くのが8時を過ぎていたのだ。

9時10分
『行ってきまーす!』「がんばってね!」我が家を出発。近道を使って、市役所へ。受付のよう子さんが6月一杯で退職したことを知り、ショックを受ける。(この日記見ていたら、メールください)それくらい、いつも笑顔の受付嬢だったのだ。

9時35分
珍しく市長が遅れて・・・カサジの質問が始まった。そのカサジが熱くなり、議場に緊張が走る。質問の内容は教職員の残業についてだった。まあ、あの資料じゃあ・・・納得はしないだろうなあ。要するに、管理職が教職員の残業実態を掴んでないということになってしまう訳で・・・。管理職が掴んでいない実態を市教委が掴むのは物理的に無理な訳で・・・そこをカサジは怒っていたのだと思う。結局、カサジの質問は2時間続いた。。。。

昼ごはん
バイクでダッシュ。我が家に戻り、冷麦を食べる。何にも考えず、テレビを見ながら冷麦を食べる。長閑なひと時。

学級通信
休憩時間、議場で金子先生の学級通信を見せてもらった。30歳くらいのときの通信らしいが、子ども達をたくさん誉めていて、子ども達も、とってもいい文章を書いていて、読んでいたら嬉しくて涙が出そうになった。僕が大好きなT部長がそんな僕を笑顔で見ていた。

8番
僕の議席番号は8番。8番というと、中田勇さんを思い出す。勇さんは楽しい人だった。っていうか、いい人だった。少なくとも、僕にはとっても優しかった。そんな勇さんの議席番号を継げて、僕は嬉しい。(こんなことを書くと、星川さんが「あんた、何言ってんのよ!」といいそうだが・・・)

質問
そして、議席番号8番の僕の質問が始まった。1回目の質問は、余裕で終わると思ったのだが・・・壇上に上がると口が勝手に喋りだし・・・終わってみれば、残り時間0秒。ギリギリセーフだった。そして、再質問。僕はどんどん質問し、すっ飛ばし・・・あっという間に「給食の安全問題」までたどり着いたのだった。今日は先輩のカサジが熱くなったので、僕は冷静に冷静に・・・と、意識していたのだが、答弁を聞いているうちに熱くなり・・・気がついたら、時計がかなり回っていた。それにしても、「不安を煽る」とは何事か・・・。あれだけの大事故が起きて、チェルノブイリ並みの放射能が飛び交っている日本の中で、子ども達が口にするものに、神経質にならないでどうするのだ。何か自分が得をするから「不安を煽る」訳で・・・当たり前のことを言って「不安を煽る」はあり得ない。勉強不足なのか鈍感なのかわからないが、少なくても「内部被爆」の恐ろしさくらいは理解して欲しいものだ。あの水俣で「窒素の水銀が原因だ」と騒いだ医者たちも、最初は全く相手にされなかった。議場では1ミリシーベルトの意味も1ベクレルの意味も説明したが、全く理解してもらえなかったようだ。給食の材料を検査する測定器は1台2000万から3000万。それで安全が確認できるのなら安い買い物ではないか。みな安心して子ども達に給食を食べさせられるではないか・・・。各学校に1台あったら、自分の家で食べるものも検査してもらって、更に安心できるではないか・・・。そして、もし基準以上の線量が出たら・・・それこそ、食べなくてよかった。食べた後だとしても、もうそれ以上食べないで済むのである。ふるさと新座館に15億使っている場合ではない。今こそ、検査して検査して検査することが重要なのだ。そして、そのデータを大事に蓄積していくことが未来に繋がるのである。水俣とチェルノブイリに学ばない大人達は、子ども達の未来を語る資格はない!!

『一生懸命』幻の学級通信 第六中学校 3年1組  1996年  から

出る杭
『出る杭って大切だと思うんだ』「ですねえ」『今の学校はそれを大切にしてない』「確かに・・・」『協調性、協調性ばかり言い過ぎる』「そう」『そういうところから天才は出ない!』「うーむ」『個性を大切にと口ではいいながら、スカートの長さまで同じようにしようとしている。』「・・・・・」『もっとおおらかにならなくっちゃ・・・。ゆったりとした気持で子ども達を見なくっちゃ。』「ゆったりと・・おおらかに・・・」『スカートの丈やルーズソックスくらいでカリカリしている奴に何が教えられる?』「なるほど」『“服装の乱れが心の乱れ”っていう標語・・・新潟行ったらあったよ!笑ったね。』「だから、ヘルメット被っちゃったりするんだ。みんなで・・・」『嫌ですねえ・・・』「さ、朝まで飲みましょう!」『おう!』人生は一度っきり。どうせなら、出る杭になりませう。

* これは確か、教育実習生との会話だったと思う。明け方まで飲んで、部活に行って・・・授業やって、部活やって、夜はまた飲んで・・・そんな難しい実習をさせていたような気がする。『学級通信も書け。2週間、全く俺と同じことをやってみろ!』そんなことを言った気もする・・・。彼は今どうしているかって?勿論、学校の先生をしています。僕の教え子で学校の先生になった子は・・・20人以上いますからねえ・・・。

今日の写真1
僕の質問ノートです。議会毎に1冊こういうノートが増えていきます。いろんな人の発言が時間ごとに並べられ・・・時々、居眠りしている人の名前などが書かれることも・・・公表はしませんけどね。

今日の写真2
その質問ノートの中味です。まあメモみたいなものですかね。壇上で話すときには、一応目を落としますが・・・大抵は議場のみなさんの顔を見ながら話すので・・時々飛ばします。実にアバウトなんですねえ・・・。

今日の写真3
現在、真夜中の1時35分です。寝ているココアを無理やり起こして撮りました。ちょっとブサイクですよね。外は雨・・・明日の体育祭が心配です。やるかやらないかよりも、放射能が・・・・hot particle が上空になければいいのですが・・・。

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9月17日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第259弾!  2011.9.17(土)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第259弾!  2011.9.17(土)   たかやん

校歌
夜中が雨だったので、どうかな・・・と、心配していたのだが・・・。六中の体育祭は無事スタートした。来賓の挨拶と来賓の紹介・・・無くてもいいのになあ・・と、いつも思う。主役は子ども達だからだ。体育祭をやる前にどんな挨拶をしても、主役達は余り聞いていないし、覚えていることもない。早く動きたくて、うずうずしているのだ。だからどうしても時間が長く感じてしまう。それがどんなに上手な挨拶であっても・・・・。そして、やっと校歌の番がやってきた。六中の校歌は世界一(多分)綺麗な校歌だと思うのだが・・・その校歌を久しぶりに大きな声で歌えて、空父は幸せであった。

呼び捨て
午前中はずっと六中にいた。そして沢山の人と会った。五中時代の先輩、六中時代の同僚、二中時代の同僚、六中の卒業生、塾生の親・・・・八石の校長先生・・・。一番面白かったのは、来賓のテントの中での会話。昨日の議会のことが話題になったところで、カサジが登場し・・・僕のホームページが話題になり・・・「え、俺一度も見たことない・・」とカサジ。『笠原って書いてないからね。いつもカサジだよ・・』「カサジなんだ・・」笑うカサジ。「もう、知らないとことで勝手に書かないでよねえ」と川島勝治。『あれ、何か書いたっけ?』「ほら、去年の合同クラス会・・・俺にもイメージがあるんだから・・・」どうやら、教え子がインターネットで検索したら、僕の日記にヒットして・・・それで電話がかかってきたらしい。『よかったじゃない?』笑う川島勝治。僕の21年間の教員生活の中で、最も尊敬する人達の中にカサジも勝治もいる。尊敬しているのに、呼び捨て?そうなのだ。僕の中では本当に尊敬する人はあだ名だったり、呼び捨てだったりのことが多いのだ・・・中村敝一郎もそうだし、甲神嵒もキノッピーもそう。みんなあだ名か呼び捨て・・・。カサジに至っては、こうして書くだけではなく、本人に対しても『ねえ、カサジ・・・』と呼ぶことがある。カサジは5つも先輩だし、嵒や勝治、キノッピーに至っては9つも年上なのにである。
大笑いしたところに登場したのが、金子教育長。昨日の議会で激突した3人が来賓のテントの中でバッタリ・・・学校の実情を語る3人。ここでもまた金子先生の意外な一面を見た気がした、空父であった。

光があります!
午後は五中へ。昼の応援合戦に間に合い・・・採点用紙を渡される。これで3年連続?の採点である。五中の応援団の基礎を作ってきた僕の目は厳しい・・・が、採点はどうしても甘くなってしまう。ま、昔の硬派の応援団とは違うタイプの応援団なのだ。それでも、随所に昔の雰囲気もあり・・紅白の応援団で大活躍した子達のことを思い出した空父であった。五中では信じられないくらいの数の教え子達と遭遇し、最後の最後に子ども達と一緒に五中の校歌を歌い、心が震えてしまった空父であった。

オーラ
五中での時間はあっという間に過ぎていった。五中の校庭には不思議な空気が流れていたのだ。子ども達が出す“気”と先生たちが持っている“オーラ”とが上手く合わさっていた。体育祭を見る時、子ども達を見ている訳だが・・・僕はどうしても先生達に目がいってしまう。そして、(この先生に習いたい!!)と、子どもの様に思ってしまうのだ。五中には、そういう先生がたくさんいた。六中が学力ではかなりの水準になってきたようだが、五中もきっとこれから伸びていくだろう。先生達にあれだけのオーラがあったら・・・子どもたちは、ついていくに決まっているのだ。五中も六中も間違いなく、いい学校になっていく・・・先生達を見て、そう確信した空父であった。

今日の写真1
ここに載せたい写真は山ほどあるのですが・・・いい表情の子どもたちの写真をたくさん撮りましたから・・・。多分、大丈夫だろう・・と、思える写真を掲載します。(駄目だったら、直ぐに言ってくださいね)最初の1枚目はこのTシャツです。どうです?いいでしょう・・・。六中の体育祭にはこのTシャツでなくっちゃ!!保護者にも販売したらどうなのかしらん。そうなったら・・僕も買って着ますね。

今日の写真2
カサジです。五中がスタートした時の3年2組の担任です。僕は4組の担任で・・1組が嵒で、5組が神さんでした。その5組だった金子君とも会えました。あれからもう34年もたっているのですね。15歳の少年たちが49歳・・・カサジの髪の毛も白くなる訳です。でも、笑顔は昔とちっとも変わりません。

今日の写真3
懐かしい・・・昔も塔は作りました。応援団の打ち上げの後、焼き肉屋の駐車場でも作った記憶があります。それくらい練習して、練習して・・完璧な塔を作って・・・塔のてっぺんで「フレーフレー五中!」と叫んだことを思い出します。今日の赤団は残念ながら競技の部でも応援の部でも完敗しました。でもね、よく頑張っていましたよ。一生懸命だった赤団でした。勝負の世界はどっちかが勝って、どっちかが負ける。負けると悔しくて涙がでる。勝つと嬉しくて涙がでる。大事なのは涙がでるくらい練習するということです。そういう君たちを僕らは応援したくなっちゃうんです。五中生・・みんなキラキラしていましたよ。ありがとう、五中生。ありがとう、五中の先生達。来年も行きますね。

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9月18日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第260弾!  2011.9.18(日)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第260弾!  2011.9.18(日)   たかやん

4時
今朝はちょっぴり早く目が覚めた。4時は流石に真っ暗で・・・そして、静かだった。何をしようか迷ったが、取り合えずパソコンのスイッチを入れて、メールをチェックする。すると、こんなメールが来ていた。

友達からのメール1
今日の朝日新聞に載っていましたが、朝霞市の小中学校の全校で、雨どいの下、側溝、排水溝などから朝霞市の基準である0.19マイクロシーベルトを超える放射能が検出され、除染を行うとのことです。やっぱりという感じです。私が先日、八石小で行った測定でも、雨どいの下、側溝などで0.25マイクロシーベルト前後の数値が出ています。簡易測定器なので誤差もあるかと思いますが、0.19を超えている可能性は高いのではと思われます。
市にはもう少し、細部まで測定してもらい対応してもらえないものでしょうか。新座市の除染基準はどのくらいなんでしょう。PTAで高精度の放射線測定器を購入するという意見に賛成です。
* 朝霞市の基準はそれ程低い基準ではない。子ども達の放射線に対する感受性を大人の4倍と考えると、実に甘い基準なのである。放射線管理区域の基準が0.6マイクロシーベルトなのだから・・・。0.25を4倍すると・・・小学生でもどれだけ危険かがわかる。

友達からのメール2
だいたいが0.12〜0.16だったのですが、東門横道路側の体育館横にある側溝が0.48〜0.52という高い値でした。やはり詳細に測ってからやるべきだったと思いました。
* 見えないから安心なのではない。測定して、安全な数値だとわかって、初めて安心するのだ。僕らはチェルノブイリから数百キロのところにいると思った方がいい。子ども達を放射能から守るには大人が知恵を出すしかない。「不安を煽る」と逃げるのは簡単なこと。だけど、その一言に子ども達の未来を賭けるのは馬鹿げている。あの時の水俣湾も、見た目は綺麗だったのだ。朝霞市が異常なのではない。新座市が鈍感なだけである。外部被爆に対して鈍感で、内部被爆にはもっと鈍感じゃあ・・・子ども達が可哀そう過ぎる。

9時半
休日議会が始まった。沢山の傍聴人が集まった。跡見女子大学合唱団による議場コンサートもあった。なかなかいい質問もあった。それでも議場でお休みになっている方達もいて・・・傍聴人はガッカリしただろう。(それとも、もう諦めているか・・・)来年の2月には選挙だというのに、議場でおやすみになっていて・・・余裕だなあ・・・いつもスレスレ当選の僕にはそんな余裕はない。トップ当選しても、この7年半一度も寝ていない平松大佑議員を見習って欲しいものだ。授業参観に来たら、みんなしっかりと授業を聞いているのに自分の子どもだけが寝ていた・・・居眠り議員に投票した有権者は、そんな気持になるんじゃあないかな。僕には議場で寝る勇気?も根性?もない。


『一生懸命』幻の学級通信 第六中学校 3年1組  1996年  から

疲れる前に休む
人間の心臓は休まずに70年も80年も動き続ける。凄いなあと思っていたのだが・・・本によると、どうやら時々休んでいるらしい。バコ ボコッ で一休み。バコ ボコッ で一休み。だから、長く働き続けられるというのだ。24時間のうち、心臓が本当に動いているのは9時間。つまり15時間は止まっているというのだから驚き桃の木である。長く働きたかったら・・・疲れる前に休んでしまおう。疲れてから休むのでは遅すぎらしいぞ。

家庭訪問日記4
将彬の家には久美子と由佳子と航と圭吾がいて、みんなで勉強していた。担任はもっぱらお母さんと妹の弘栄ちゃんとお喋り・・・パンを食べ、ババロアを食べ、アップルパイを食べ・・・圭吾に「先生の家庭訪問っていつもこうなの?」といわれる。『そりゃあお前、食べるのは基本だよ。』その内、ギターを弾き始め、歌いだす担任。「本当に家庭訪問?」『いいじゃないの。さ、リクエストは何かな?』風邪で声がでなかったが、3曲歌った担任であった。

実力テスト
朝の学活で『やったぜ、学年で・・・6位入賞!断トツのぺけ!』笑う1組。スタートがぺけっていうのはいいことだと担任は思っている。『で、いつゴロトップになる?2学期のはじめ?それとも1学期の終わり?』「無理だよ〜」『無理じゃないよ。わけないさ。本気で言ってるんだぜ・・』取り合えず、次の中間で3番くらいまでいっちゃおか。学年で1位は1組にいるんだし。(担任は176点で断トツの1位、航は168点で2位)みんなでその気になりゃあ、あっという間だ。

勉強法がわからない人は朋矢君、航君、香織ちゃん、由佳子ちゃん、修一君、奈月ちゃん、瞳ちゃん、徹君、義行君、葉月ちゃん、浩子ちゃんに聞きなさい。きっと自分でもやれる何かを教えてくれるから。

* そして、このクラスは本当に学年トップになった。できない子達はできる子達から、どんどん学んでいったのだ。朝勉をやり、夜勉をやり、子ども達はどんどん伸びていった。「たかやん塾」の原型がこのクラスにもある。特別のことをした訳じゃあない。ただ、クラスみんなで他のクラスの倍勉強しただけである。

今日の写真1
五中の黄組の応援団です。五中は35年前から紅白二色の応援団でした。途中、色が複数になり、今は赤と黄色が残っているようです。僕がいた最初の10年は地域の名物になるくらいの「応援合戦のある体育祭」でしたが・・・今もその伝統が残っていました。体育祭は二色対抗に限りますね。敵か味方かはっきりしていた方が燃えるのです。五中の先生達も赤と黄色のTシャツで盛り上がっていました。二色対抗と学級対抗のダブル対抗が一番盛り上がるのは、今も昔も同じなんですねえ・・・。

今日の写真2
学年対抗種目の「台風の目」です。これも二色対抗と学級対抗の両方で・・・みんな燃えていました。体育祭の種目はスピード感とチームワークが見えるものが面白いですね。

今日の写真3
最後の二色対抗リレーです。午前にも午後にもリレーがあって・・・この二色対抗リレーで競技の部の勝敗が決まる仕組みになっています。騎馬戦と棒倒しがあったら・・・もっと盛り上がるんでしょうけれど・・・・。兎に角、楽しかった五中の体育祭でした。

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9月19日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第261弾!  2011.9.19(月)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第261弾!  2011.9.19(月)   たかやん

5時
今朝は5時過ぎから仕事。集中していたら、いつの間にか7時40分に。8時に約束をしていたことを思い出し・・・「げっ!朝ごはん食べてない!」バナナ2本と豆乳を飲んだ空父であった。

元気玉
今日のデモは凄かった。仲間が発信する動画や写真でそのデモの凄さがわかったのだ。早速、ツイッターで“元気玉”を送った。するとどうだ。全国から元気玉が送られたではないか・・・僕へのメールもわんさか来て・・・みんなの脱原発に対する強い思いを感じた空父であった。

元気玉2
最近、秋田から元気玉が毎日来ている。五中の10期生のみかからである。みかは担任したことがなく、理科を教えただけだったのだが・・・・。毎日、僕に元気を送ってくれるのだ。どうやら、元気玉はドラゴンボールの世界だけではないらしい。みかの元気玉で本当に元気がでるのである。教え子達に感謝、感謝の今日この頃である。


『一生懸命』幻の学級通信 第六中学校 3年1組  1996年  から

11月8日
父さん、誕生日おめでとう!68歳ですか。もうあれから11年もたったんですね。
今日は「三本の矢に」を読むことにします。父さんが僕らの為に残してくれた詩は やっぱり他のとは違います。不思議です。父さんの声がするのです。どの詩からも父さんの声がして、父さんの匂いがします。
まだ小さかった僕に、この詩をくれた時「今は難しくてわからないかも知れないが、朋矢が大きくなったらわかるようになるよ」と、父さんが言ったのを覚えています。
時々、父さんの夢を見ます。夢でしか会えないから、とっても嬉しいのだけれど、できたら元気な頃の父さんで出てきてください。飲んで、給料袋を忘れてきて、「お前ら、1ヶ月飯食うな!」と、威張っていた頃の父さんで出てきてください。
母さんは元気です。この間、66歳になりました。バレーボールも続けているようだし、ゲートボール大会で優勝したとも言ってました。
父さん、学校を辞めることにしたんですよ。父さんが生きていたら何て言ったでしょうね。うーん、また怒られて、勘当されていたかも知れませんね。坂本竜馬の影響も大きいと思いますが、父さんの影響も随分大きいと思います。何屋になってもいいんですよね。職業に貴賎はないんですよね。まあ、天国から見ていて下さい。父さんの子ですから、雑草の子ですから、少しくらいじゃあ死にやあしませんから・・・・。ともや

* 六中時代、学校を辞める気になったのは・・・長男の亮の心臓病が心配で、もう一年だけ六中に残らせて欲しい・・・そう校長に言ったのだが、その時のU教育長に拒否されたからだ。理科のK先生が病気になった時には、その先生の授業もみんなやり、空き時間がゼロ時間の数ヶ月もあった。体育のI先生がヨーロッパへ研修に行った時には体育の授業もやった。国語のY先生が切迫流産の時には国語の授業もやった。10年間、毎朝六中の周りを掃除し、朝は一番早く来て学校の鍵を開け、夜は一番遅くまで残り、鍵を閉めて帰っていた。そんな僕が、息子の命がかかっているからと、「あと1年だけ残してください」と、お願いしたのに・・・・なら、もう3月でやめてやる!そんな気持になったのだ。実際には次の2中でやめるのだが、息子の命を何とも思わない冷たい市教委に頭にきたことは確かなことだ。すっかり忘れていたが、この学級通信のお陰で思い出した・・・・。僕にとって、息子達の命よりも大切なものは何もないのだから・・・。

今日の写真1
この一生懸命の3年1組の女の子達です。4人ともルーズソックスを履いています。当時の1組でルーズソックスを履いていなかった子は一人だけでした。担任は、女の子達の靴下には全く興味がなかったので、気がつかなかったのですが・・・子ども達が教えてくれました。因みに、長い髪も肩についたら駄目みたいな規則があったようですが、それも無視しました。だって、小さい頃から長い髪の女の子が好きだったから・・・・束ねたら勿体無いでしょう。でも、この子達は優秀だったんですよ。人は靴下じゃあないんですね。

今日の写真2
修学旅行の二日目だと思います。夜中に僕らの部屋に遊びに来た子ども達です。2時くらいまで語った記憶があります。僕と誰の部屋かって?それは言えません。もう一人は、今でも現役で先生をしていますから・・・・。

今日の写真3
中学生の僕です。ラケットを持っている少年です。軟式テニスの新宿区のチャンピョンだった頃で、早稲田からも早実からも誘いが来ていました。誘いに乗って早稲田に行っていたら・・・人生は全く別のものになっていたでしょうね。1期生4期生7期生は勿論、一早とも会えず、安孝やエイトとも会えず、一久や大力、そして茜やこころや愛や恭子とも会えなかった訳で・・・この3年1組の子達とも会えない人生だったでしょう。石神井に行き、北大に行って本当によかったと思います。

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9月20日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第262弾!  2011.9.20(火)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第262弾!  2011.9.20(火)   たかやん

雨の中・・
今日は休会日。しかし、学校はお休みではない・・・。ということは、空父の出動日である訳で・・・膝の痛みを抱えた空父は、自転車を諦め、カッパにバイクで八石小に向ったのであった。

左膝
ちょっと足を滑らせただけなのに・・・膝に激痛が走っている。どうやら半月板がどうにかなっているらしく・・・。包帯でぐるぐる巻きになった空父であった。

サッカー
左膝の半月板は六中テニス部子達とサッカーをやった時の怪我だ。あの頃のテニス部は魚―ミンクアップがサッカーという練習で・・・その練習でマジになり、怪我をしてしまったのだった。

読書
こういう日は、本を読むに限る訳で・・・昼過ぎから本を読み始めた。夕方、数時間は塾に燃えたが・・・真夜中過ぎまで、本を読み続けた空父であった。

『一生懸命』幻の学級通信 第六中学校 3年1組  1996年  から

麦の穂

麦の穂 となりも麦の穂 ぶつからず 離れすぎず 

特に高いものもなく  にてるけれど みんな違う

麦の穂 太陽の弓矢             星野富弘

僕は富弘さんの、この詩が好きだ。 この絵も大好きだ。麦の穂だって、みんな違うんだから、人間の子どもが一人一人違うのは当たり前。
そこいら辺を学校はわからないと・・・勿論、親もね。
太陽の弓矢は大人の決めた枠になんか、はまる訳がないんだから・・・

スカートの丈か・・・星野富弘が聞いたらなんて言うだろう。
ベランダに出るな!か・・・星野富弘が聞いたらどう思うだろう。
僕はベランダに出て、5月の空気を一杯吸いながら、みんなと語りたい。

* 陵平のいた二中だけではなく、僕のいた六中にも「ベランダに出るな!」という先生はいました。流石に五中にはいなかった気がしますが・・・・当時の五中は、みんなベランダから外を見るのが当たり前でしたから・・・そう言えば、朝霞三中もそうでしたね。共に、自由な校風だったのでしょう。六中にはうるさい先生もいたのですが、僕みたいに、理科の授業でベランダに出る(かなりわざと)ような教師もいました。ベランダにでることが大問題にはなりませんでしたね。僕が六中に行ったとき、スカートの丈にうるさい先生達がいました。「もっと短くしろ」「長いスカートはけしからん」という訳です。そこで、僕はテニス部の女子全員にこう言いました。「明日から、全員膝上のスカートを履いて来い!」そういう命令を出したのです。当時の校則では、長いスカートは禁止されていたのですが、短いスカートを履く子はいなかったので、何も問題はない。そこを逆手にとったのです。反応は凄かったですね。あっという間に長いスカートの子が六中からいなくなりました。多分、流行おくれのダサさに気がついたのだと思います。その代わり、短いスカートの子達が増えました。“校長の話とスカートは短い方がいい”当時の六中の校長の言葉です。おおらかな時代だったのです。

今日の写真1.2
4歳の頃の僕です。暇な人はどこにいるか探してみてください。今から50年以上前の写真ですからねえ・・・

今日の写真3
航海実習中の僕です。海に出てから、海の男達の偉大さが身に染みました。漁師は命がけの仕事をしている。そう肌で感じたのです。国の基本は大事なのは第一次産業だ!そう思いました。ネクタイをしているホワイトカラーだけで国が成り立っているわけじゃあない。百姓や漁師がいて、みんな飯が食えるのだ!僕の原点がここにあります。だから、中学生に「ちゃんとネクタイをしめなさい」などとはいえないのです。「いい学校を出て、安全で給料が高くて、汚れない仕事をしなさい」などと言える訳がないのです。「どんな仕事も尊いのだ!」「何屋になってもいいんだ!」「職業に貴賎はない!」そう子ども達に伝えたかったのです。

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